昨夜、歌舞伎「菅原伝授手習鑑 - 寺子屋」の後半をEテレで観た。

面白かった。

僕は、能、狂言はもちろん、人形浄瑠璃や歌舞伎など、日本の伝統芸能には全く疎い。そのことをちょっと後悔している。もうちょっと親しんでおくんだった。

ショルダーポーチ、という呼び方でいいのかな?
連休で帰省している妹に頼んで作ってもらった。母の古着の再利用なので、若干おばさん風味(妹の言)ですが、僕の要望がストレートに反映されていて使い易い筈なので大いに満足しています。
A5サイズのメモ帳(A4の裏紙を半分に切ってクリップでまとめたもの)、ボールペン、PHSの三点を入れやすく出しやすい形で携帯したかったんです。ポケットがわりなので、ファスナーなんかは要らない。
どや、ええやろ?

古本屋でヨリノショウコの本を探したが見つけることが出来なかった。
そらそうやわな。
とほほ。

笙野頼子は現代日本文学として必読で、日本社会の根本にある陰湿な攻撃性を言語化してくれた。容姿に関する執拗ないじめから「意地悪な姉娘」というフレーズで浮かぶのは小学生男子となってしまったという一節があるくらいで、どの作品でも汎日本的な田舎性とか閉鎖的で加虐的な男の幼児性といったものが苦痛なほどはっきりと描写される。素晴らしいのはだが断じて私小説ではない点であまりに強力な描写力のせいで却って俗悪な不快なファンタジーに昇華している。世代を超えて女たちが受けてきた苦しみが憎悪だけでなく悲しみと祈りとかにならず、激烈な復讐に転化して男性読者である私を襲う。著者の私小説ではないが、読者である私にとって強烈な私的体験となる。

自分が歳を取ったことを気にしている、そして、それを気にしていることを気にしているので、こういう持って回った言いぐさになる訳ですな。

それはそれとして、相手の立場に身を置いてみて思うことは、初対面の客に「お客様」以外のもっとフラットで色の付かない二人称があれば良かったのに、ということです。

初めて会った人に「そこにお父さんの住所を書いて下さい」と言われた。

はて、あなたは何番目の妻との間に生まれた子でしたかなぁ。あなたの年恰好からすると、私が小学6年生ぐらいのときの子のようですが、、、あはは、歳を取ると昔のことが思い出せなくなって困ります。ご免なさいね。

と返すべきであったと、三時間も経った今頃になって、じんわりと反省している。

岩座神はこんな感じです。公会堂までの道は大丈夫。(だから、たぶん、明日の蕎麦打ち大会も大丈夫。)田圃なんかは、15~20cm ぐらい積ってます。

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(続き)

「親神さま」の歌に持って回った解釈が不要なように、「もとはじまりの話」も、子供になったつもりで読んで、判るところだけを判れば、それで十分ではなかろうか。

...

ディテールに関しては、人によって解釈が異なるようになっても、かまわない。それは、心の奥底とは無縁だ。そんなものは、年老いて耄碌すれば、すっ飛んでしまう。福音書を書いたヨハネは長生きして、最後は、ニコニコ笑って「みんな、お互いに愛し合おうな」と言うだけの馬鹿みたいなじいさんになったと聞く。そういう心の奥底の、最後までその人から奪われない核心だけが重要だ。そういうものが、人の行動を最終的に決定し、幸不幸を左右する。それは、人の心の幼児(おさなご)の部分だと言ってもいい。

すぐれた物語は、人の心の幼児の部分に働きかけて、人を変えていく。

(続き)

我が敬愛する友人、内藤元幸さんは、酒と会話が好きな人で、当然のように、歌も好きだ。一番好きな歌は、おそらく、この童謡「親神さま」であろう。教会の行事でカラオケをすると、しめくくりに、この歌を無伴奏で全員で合唱することを要求する。「わし、この歌をみんなで歌わんと、気が済まんのや」と言う。

遠い遠い その昔
親神さまは 人間を
つくりたもうた お父さま
つくりたもうた お母さま
*
みんなが 仲良く くらすなら
みんなが 楽しく くらすなら
親神さまも どんなにか
おてて たたいて およろこび

これは、幼少時から天理教に親しんでいる者なら、誰でも知っている歌だ。そして、元幸さんにとっては、この歌が天理教の教えの精髄なのである。

それに私も同感する。

天理教ってのは何と単純素朴な教えであろうか。馬鹿みたい。

それで良いのである。

「もとはじまりの話」は、この「親神さま」の歌を理解するのと同じようにして理解すればよい物語だと思う。

(続く)

昔の自分が結構良いことを言っている。

「元はじまりの話について」(softark.net/articles/m-0102.ht)

何歳ぐらいであったか、はっきりとは憶えていない。おそらく父が買い与えてくれたのであろう絵本が、私にとって最初の「もとはじまりの話」であった。一匹だけ残った雌猿とか、水の中を泳ぎ回るちいさな人間たちとかの絵を断片的に記憶している。

そして、次に「もとはじまりの話」が私の意識に上ってくるのは、上述の芹沢の著書の中でそれを読んだときである。間がすっぽり抜け落ちているのだ。天理教の信者の家に生まれ(父は天理教の教会の三男坊であった)、幼い時から、空気を吸うようにして、天理教の教説に触れてきた。大学から落ちこぼれた時には、三ヶ月間の修養課に入って(放り込まれて)、正式に天理教を学んだ。しかし、芹沢の本で読むまで、「もとはじまりの話」を大切な物語として意識したことは無かったように思う。

そして、これが肝腎なことだと思うのだが、幼かった私が理解した「もとはじまりの話」と、現在の私が理解する「もとはじまりの話」との間には、特に差異は無いのである。

(続く)

天理教の創世神話である「泥海古記」は、読もうと思えば誰でもすぐにウェブ上の文書として読むことが出来る。

例えば、「元初まりのお話」(
softark.net/articles/m-0101.ht)

このページは、厳密に言えば著作権法に違反するものだろう。「引用」と言うにはちょっと無理がある。そして、実は、これは僕が自分のサイトに著作権者の許可を得ずに無断で掲載しているものだ。しかし、最初に掲載してから十数年が経過するが、天理教教会本部や出版元である道友社からクレームを受けたことはない。

それはともかく、長い話ではないので、是非、読んでみてほしい。

僕の曾祖父が天理教の教えのどこに魅了されたのか。

それは疑う余地がないと思う。

天理教の創世神話である「泥海古記(どろうみこうき)」に魅了されたとしか思えない。

神が人間を作った。それは、人間が互いにたすけあって陽気暮らしを楽しむ、それを見て神が喜びたいからだ、という創世の神話である。

曾祖父はそういう物語を受け入れ、自分の人生を変えたのであった。

天理教信仰の初代であった人、僕の父の祖父は、しかし、若くして他界した。ほとんど何もしないままで死んでしまったかのようである。

その人の妻、僕にとっては曾祖母に当たる人は長生きした。僕もその「大きなお祖母ちゃん」と言葉を交わしたことがある。「○○の子やで」「ああ、そうかあ」ぐらいのことだけれどね。孫の子だから、ああ、そんなのもいるか、ぐらいの認識だっただろうね。

二代目である父の父(僕の祖父)は、敏腕の教会経営者であった。宗教者と言うよりも政治家、伝道者と言うよりもオルガナイザーと呼ぶのがふさわしいような人だったらしい。

初代が捨てた田舎の素封家として力を別の形で発揮したような人だった。

父のことを書こう。そして天理教のことを書こうと思う。もう今を逃すと書くことが出来なくなりそうだから、うまく書けなくても書いておこう。

(ツッコミを歓迎します。校閲して下さい)

僕の父は天理教の教会の三男坊として生れた。これは、生業として天理教の教会を経営している夫婦の間に三番目の子供として生れた、ということだ。

最初に天理教に帰依したのは、父の祖父にあたる人だった。それなりに裕福な農家の当主であったその人が、田畑を売り払い、隣の村に居を構えて天理教の布教に一身を捧げることにした理由は、どうやら、天理教の教理に魅了されてしまったということであったらしい。

天理教の中では、その初期に教えに帰依した人たちの物語がいくつも伝えられているが、その多くにおいて、奇跡的な救いが入信の機縁となっている。医者が見放した自分または肉親の病気を救ってもらった、というのが典型的だ。

しかし、父の祖父については、そういう奇跡的な救いの話は聞いていない。そうなると、単純に、人から聞いた天理教の教理に圧倒的に魅了されて、自分と家族の生活を破壊的に変えてしまったのだろうと思うほかはない。

職場のシステムが15:30頃から半時間ほど動作不良におちいった原因の一端は私にあった。

私は、システムがユーザーに開放しているツールを使って、新しいテンプレートを作ろうとしていた。そして、私がテスト実行した新しいテンプレートの一つが、システムのテンプレート処理機能を緩慢な死に陥れる毒を持つものであったらしい。そのことをシステムの復旧後にベンダーのエンジニアから教えられた。

私が責めを負う謂れはもちろん無い。原因はテンプレート作成ツールまたはテンプレート処理機能におけるシステムのバグであり、責任はシステムのベンダーにある。しかし、同僚たちは「動かなくなったよ(動くようにしておくれ)」と私に言ってきた。

ベンダーに連絡を取って、なんとか30分ぐらいで復旧できから良かったけれど、その間かなりバタバタした。自分に原因の一端があると知っていたら、もっと慌てただろうと今にして思う。

日頃からベンダーのサポートのスタッフと仲良くしていて良かった、職場の同僚と仲良くしていて良かった、と思った次第である。

罪深きしもべであるノブオは、お昼の定刻までもう30分もないと言うのに、小腹が空いただろうと囁やく悪魔の誘惑に負けて、売店で買ったカレーパンとコーヒー牛乳をサーバー室に持ち込んで、ひとり禁断の至福のときを味わってしまいました。
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この前千ヶ峰に登ったのは 2006年の5月5日だった。

中学校の同窓会で千ヶ峰に登ろうと言うことになり、ちょうど子供の日だしということで、小学二年生の双子の子供たちと中学三年生の甥っ子を連れて登ったのだった。
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登山をした。

千ヶ峰という標高 1,005 m の山で、兵庫県の北播磨にある。岩座神はこの山の南面に位置する山村である。

今回は登山道の整備が目的で、隣家のたかひろさんと二人で、動力刈払い機などを携行しての登山だった。

既に紅葉も終って景色も荒涼としていたのだが、登山道や山頂で何組かの登山者と出会って言葉を交わした。登山という欲も得もない楽しみを楽しんでいる人たちを見るのは、それだけで嬉しくなってしまうものだということに気付いた。

1) たかひろさんと僕と動力刈払い機
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2) 山頂
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3) 山頂から南の方角を見る。よく見ると、岩座神の僕の家も見える。 mastodon.to/media/8TS4g7QT1NHw

4) 僕の家から見た今日の千ヶ峰。もう下山して家に帰ってきた。
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マウスの調子が悪い。シングルクリックが勝手にダブルクリックになったり、離した筈が掴んだままでドラッグになったりする。マイクロスイッチの経年劣化なんだろう。買い替えないと駄目みたい。

という訳で、ずいぶん久しぶりに赤いトラックポイントをくにゅくにゅしている。

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