里は新潟の山奥にある小さな集落なんだが、そこでは長男のことを「あんにゃ」、次男のことは「もしかあんにゃ」って呼ぶんだよ
後継ぎのあんにゃに不測の事態があれば次男が後を継ぐ、もしかしたら「あんにゃ」になるかもってことで「もしかあんにゃ」
娘たちや三男以降については呼び方もないえらく雑な扱いで、前近代からの名残りが色濃いのだった
今の子供世代は男女長幼問わずみな大事にされてるけどね

@Ksyzr ○○であることだなあって詠嘆調で述べるときの語尾だよ
在郷(ざいご)は田舎とか辺境の地って意味合いで使ってて、叔父の子供や甥っ子のおれなんかが都会から帰省すると、昔から変わらない村のありようを指して「在郷だいや~」ってしみじみ呟いてんの
自分はいつまでも同じ田舎にずっといるが若い世代は新たな世界へ出て行くものだなあ、みたいな感情がこもっているようだが如何せん意志疎通が困難なほどの訛のため真意はいまだ不明なり

セネカの『人生の短さについて』冒頭。さっそく関係詞とか形容詞の活用とか出てきて焦れたが、ドイツ語訳と英訳の直訳っぷりを見て感動的に分かった。やはりラテン語は欧州言語の親。

死すべきさだめの人間の大半は、パウリヌスよ、自然の悪意を非難する。いわく、私たちは僅かな時間の中に放り出され、その私たちに与えられた時間はといえばあまりに速くあまりにあわただしく過ぎ去ることを許されている、と。そして僅かな例外を除けばその他の人間には、やっと人生の準備ぐらいしかさせてくれない、と。 Maior pars mortalium, Pauline, de naturae malignitate conqueritur, quod in exiguum aevi gignimur, quod haec tam velociter, tam rapide dati nobis temporis spatia decurrant, adeo ut exceptis admodum paucis ceteros in ipso vitae apparatu vita destituat.

キムチはカレーなので問題ない

great のこと grate って間違えるのすごい面白くて 実際の発音に忠実に書いてるんだなーって分かる。たしかに great の発音は [ɡreɪt] であって、ea という綴りから予想されるような長母音ではなく顕著に「エイ」と言っている。英語の綴りのほうがまったく非規範的なのだ。great の語源を見ると由緒正しい西ゲルマン語で *grauta 。ドイツ語の groß や オランダ語の groot は長母音なので、もしかすると great の発音も西ゲルマン語の二重母音から変化して [ɡreːt] になるはずだったのかもしれないが、 [ɡreɪt] と二重母音を保っている。英語はたまに他のゲルマン系の言語より古い形をかたくなに守っている。

ラテン語の教科書買って10年以上ほったらかしてあったんだけど開けてみた。この教科書を第一章からお勉強するのではなく、読みたいものを読む参考書として使うことにする。読みたいのはセネカの手紙。

Nunc non peregrinaris sed erras et ageris ac locum ex loco mutas, cum illud quod quaeris, bene vivere, omni loco positum sit.

手紙なので動詞が二人称単数で統一されている。語尾 が -is となる。「あっちへ行ったりこっちへ行ったり」の ac locum ex loco mutas は locum と loco がどちらも名詞 locus の与格と対格で、もちろん英語の location の意である。mutas は muto の二人称単数現在で英 move の意。bene は「良い」。ベネッセのベネ。

「自分探し」は止めろ、みたいな。
【つまり君は旅行するのではなくそのかわりに駆り立てられて場所を次々変えているのだ。君の求める善く生きることはどんな場所でも可能だというのに

おー、あさこさんの日進月歩よ…続けてんねぇ!私も毎日なにか学習したこと書こう…あさこさんみたいに読んで面白くなるようなのを!

@Ksyzr 昨夜は暇だったからカウンターに座って詩集を読んでポーカーやって、煙草を一本つけて帰ったよ
一生こんなんやっていたいぜー

しぐまきゅんの生活良すぎて泣いちゃう

近況ですがもっぱら近所にある人手不足のスナックで店番しながら本読んだりポーカーしたりしてる
仕事っていうほどの責任もなくたまに来る客に酒作ったり自分でも飲んだり
なんか落ち着くなあ

カリー寺、出店終わった~!カレー好きが集まる場に🍛アクセサリーを持っていくというのは「布教活動には最高」やね。だってカレー教の祭典にグッズもっていってるようなもの。

スタッフの子たちが「やばい、かわいい」といって買ってくれて「スタッフがつけてるのみた」ってお客さまが来てくれて、心のおもむくままに作ったカレーを「自分のにするのはどれか」とじっくり悩んでくれるのは見てて至福の時間でした。

ありがとう
ありがとう、 急におもいついた私のあたま!

、昭和っぽい机にいろんな🍛。 机はニスだけ塗った。ほんとダイソーにはなんでもある。

そして着るカレー作りは佳境。
インド料理屋のAランチCランチは製作だいたい完了して、一粒カレーピアスも製作は30個くらいできたのでパーツつけてイヤリングかピアスに仕立てるというのが残っている。

今回は、できないこと人に頼んでみた。少しづつ作ってたけどやっぱりぎりぎりにならないと見えてこないよね!ディスプレイはだいたい考えたし、当日の衣装も考えたので、後は作って作って作ってラッピングするだけ!

オタクじゃなくても昔からこういう遊びあるよねw 「けっこう伝わる」は「伝わる」のレベル設定が低すぎるw そして間違って伝わる危険は高い。あくまで遊びなのだが、そして面白がってる中国網友も「だいたい分かる!スゲー!ごっこ」をしていると思うべきなのだが、わりと真に受けた若者がツイッターで「古典の漢文は日本語に近いので日本人のほうが、文化大革命で古典研究が断絶した現代中国人より古典中国語が分かるって国語の先生が言ってました」などと妄想方面に突っ走ってしまう。漢字のフィーリングで伝わった気分になっちゃう言語感覚のいい加減さを厳密さで煮染めたごとき翻訳活動で叩き直すには昔ながらの大学のゼミでやってたような外国語購読の輪読が必要 【"オタク特有の偽中国語"でLINEして遊んでいたら同僚に中国語ができると勘違いされた話→実はこれでけっこう伝わるらしい togetter.com/li/1300986

病院の採血室の廊下にて。10歳になるかならないかくらいの線の細い少年が、おじいさんかお父さんからの今日がんばったねという声かけに、痛くなかったよ、針刺さってた?蚊がとまってたかと思ったよと早口でこたえる。しっかり隣の人の手を握りしめている。ふたりの関係や気持ちを一瞬で想像してなんだか勝手に郷愁にかられてしまった。
しかしほんとに上手な人はまったく痛くない。

中国語の「了」が便利すぎる。動詞の過去形なくて全ての動詞にこれひとつ付ければいいんだからな。孤立語ってかんたん!日本語で「おつかれさまでした」っていう意味で「乙」っていうの雑だな〜と思ってたんだけど、「乙了」って言えば丁寧っぽくない?おつら〜 

あと、よく水滸伝のドラマだと怒ったり苛立ったりした人物が「好了好了〜 はおらはおら〜」って切り上げようとするシーンがあるのだけどあの了も「はい!もういいから!おしまい!」という「完了の好」の感情的な用法なのだと説明されると腑に落ちる。吃好了 chī hǎo le (食べ終わった)のごとく普通に完了の意を持つだけでなく、日本語における「もういい!」という完了の「もう」がそのまま「了」に入っている。
おつら〜

船場を舞台にした丁稚が主人公のテレビドラマ『あかんたれ』のことを言ったつもりだったのだが、それと関係なく『あかんたれ』というタイトルで上沼恵美子の歌があるのか!知らなかった!…知らなくても別によかったw

関西のおばちゃんの上がりwww こんな説明じゃ読みたくならないなぁ…全部『あかんたれ』と変わらないように見えてくるじゃないか togetter.com/li/797322

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