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buls @Buls@mastodon.to

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カフカの尻切れとんぼな短編で『巣穴』っていうやつ。岩波文庫の『カフカ寓話集』に入ってるね。アナグマだかムジナだか、なにか爪で穴を掘る大きな動物らしき者が自分の住み家について述べているお話。
ひよどりが「居心地の良い場所があるとそこに逃げ込んで何も考えたくなくなります」なんて言うからこの不安にかられる不明な穴居生物の主人公を思い出してしまった。この穴の主はひよどりと違って自分以外に守るものもない孤独な身だが。最近は自分の穴を往来する時にどこからか聞こえる得体の知れぬ音におびえて暮らしている。放棄されていたこの巣穴に遠い昔に移り住んできた主人公は勤勉で蓄えもあり備えは万全で、自分だけが通暁した迷路のような巣穴の中で瞑想的な生活を送っていたのだが、つのる不安の中で改めて防備に努めることを決心している。不吉な予感の中で続く日常とまめまめしい備え、そして唐突な「だが何も変わったことはなかった」の一文でこの小説は終わっている。

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この地下施設は実は一度も襲撃に対する防備を施されてこなかったように思われる。そのつもりはあったのだろうが、しかし、あらゆる人生経験に反して攻撃の危険は考慮されておらず、したがって防衛のための設備はなおざりにされてきた。いや、もしかするとなおざりにされてはいなかったのかもしれないが(なおざりのままにしておけるはずがない!)、この地下施設のどこでも優先されている心安らかな生活をおくるための設備よりはるかに優先順位が低かったのだ。
基礎設計をいじらないでも保安設備に関してはいろいろとできることがあったはずなのだが、住人はこれを理解しがたいような形で怠ってきた。
…私はこの長い年月、大変幸福だった。幸福に慣れきってだめになってしまった。私は不安になった。不安の中の幸福は無意味だ。私がまず為すべき事は、本当は、この地下施設の防衛及びそこで考えうるありとあらゆる可能性を検分し、防塞と附属の建築物を徹底的に設計しなおすことだったろう。そして設計が終わったら、すぐに仕事にかかることだ。鋭気に満ちた若者のように。

フランツ・カフカ 『巣穴』

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Man hat das Gefühl, als hätte man den Bau niemals eigentlich zur Verteidigung gegen einen Angriff eingerichtet, die Absicht hatte man, aber entgegen aller Lebenserfahrung schien einem die Gefahr eines Angriffs und daher die Einrichtungen der Verteidigung fernliegend – oder nicht fernliegend (wie wäre das möglich!), aber im Rang tief unter den Einrichtungen für ein friedliches Leben, denen man deshalb im Bau überall den Vorzug gab.

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Ich habe viel Glück gehabt in allen diesen Jahren, das Glück hat mich verwöhnt, unruhig war ich gewesen, aber Unruhe innerhalb des Glücks führt zu nichts.
Was jetzt zunächst zu tun wäre, wäre eigentlich, den Bau genau auf die Verteidigung und auf alle bei ihr vorstellbaren Möglichkeiten hin zu besichtigen, einen Verteidigungs- und einen zugehörigen Bauplan auszuarbeiten und dann mit der Arbeit gleich, frisch wie ein Junger, zu beginnen.

Franz Kafka "Der Bau"

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自分はサンタクロースが来るとかそういうことは、信じていなかったのではないかと思う。

自分で覚えているクリスマスの思い出は、カセットテープの付いたクリスマス歌集で、いちばん好きだった曲は「もろびとこぞりて」だった。ひらがなで書いてある歌詞の通り、「シュ“ハ”キマセリ」と歌って喜んでいたし、いまもあの音階をおりていく流れが好きなのは変わらない。

なので、クリスマスはキリスト教というものに触れる入り口であって、幻想との境界ではなかったように思う。

妖精では、gnome ノームが好きだった。世間一般に浸透しているgnomeが、というよりもこの本が好きだった。

amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%8

もう中身はよく覚えていないけど、大きくて重たい本をわざわざ図書館から借りてきて喜んでいたように思う。大人になってから、椅子に使われているgnomeを見たときは、おどろおどろしく感じてしまって、いまも好きではない。

linuxでもgnomeは使っていない(発音は違う)。

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あー、超嫌な思い出思い出しちゃったよ。小学生の時ドラクエ3がほしかったのに父がくれたのが『子供の科学スペシャルふろく!モーターで動く自動車を作ろう』とかいう絵に描いたようながっかりプレゼントだったので大泣きして「なんでドラクエっつったのに自動車なんだよこんなものいらねぇ死ね」とはっきり父に言ったので数日怒ってたし、クソプレゼントのほうは泣きながらも一応作ったのだがコイルを巻く方向だったか部品の付け方間違えたかでモーターでなく発電機ができてしまい、それに父がまた怒っていた(←理系)という地獄のようなクリスマスだった。おかげでモーターと発電機の原理は同じものだってことは一生忘れねぇ…ようは私は小学三年だか四年だかになってもプレゼントする側の気持ちなんて一秒たりとも考えない子供で、欲望の充足のみを父に求めて満たされなければ罵倒する程度の人間性だったのだ。30年経ってやっと父には悪いことしたと思う。彼もそのズレた感性で、ただ私を喜ばせたかったのだ。子が死ぬほど欲しがって前々からリクエストしてるドラクエの代わりにあんなものを贈って必ず喜ぶと確信していた。見当違いの期待をしていたのは悲しい。

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気を緩めていたせいか、風邪をひいてしまった。久々に鼻から喉からぐにゃぐにゃです。
なんと言っても、においを感じられないことのつまらなさ!食べものをおいしいと思うのも嗅覚あってのことなのだ、、とあらためて。

においというと、何でもまずは鼻元でにおいを確かめるクセがある。特別なこだわりがあるわけじゃないけど、そーいえばと思い出したのは5歳よりちょっと前の頃「母のおならのにおい」が好きだったこと。

もう数十年は嗅いでないけど(念のため)、思い出せる限りではちょっとだけ香ばしくて甘い、晴れた日に干した布団のようで大好きだったなあ。
ある日、家のベランダで近所の友だちとふたりっきりになったときに、秘密をそっと打ち明ける気持ちで「いいにおい」なのだと伝えたら、うちもそうだよと言われたので自分だけの大事なものじゃなくなったように感じられたという結末。突然の卒業。
それ以後は、誰かのおならのにおいをわざわざ嗅ぐようなことはしてない(念のため)。

今のところ世界で一番好きなにおいは、マッチの火が消えた瞬間に香り立つやつ。
すぐあとにパイプの葉が燃える甘いにおいが続けば最高です。

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@Buls
まあ赤ちゃんがいきなり笑えば「わらった」と誰でも言うと思うんだけど、奇妙なのは『わらった!わたしにわらったんよ』『ともちゃああん。ともちゃーん。』(←わたしの名前はともこ)と言うの。これが後付けなのか、ほんとにその通り言って、その「音」をそっくり覚えてるのか、どっちかは分かりません。『ともちゃああん』は、『ともちゅわわーん』的な感じで、確かに従姉妹の姉さんはそんな風な口ぶりをよくするのだけど、当の従姉妹はこれを覚えてないらしいのです。従姉妹は当時中学生くらいのはず。そう言えばそんな気もするけど分からんわーと言っていました。

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@Buls
やたら明るく眩しく感じていた事と、顔に当たった雨粒の感触(うまく言えない。!←という感じ?)が残っています。その時は小雨が降ったのだそうです。

私は眉間にしわ寄せてむずかしい顔をしていたらしく、それを、従姉妹のお姉さんが何度も覗き込んであやすというか話しかけて、何度目かでいきなり私が笑ったらしいです。従姉妹のお姉さんが「笑った」と言って興奮していた事をその時感じていて、『嬉しい』というか、『あれ? & なんだか変だな?』という、面白い、というのに近い感覚を得ていたのを覚えています。

面白い、という感覚なんてへんだけど、そうとしか言いようがない感じです。

なんで私がいきなり笑ったのかは分かりませんが(当然か)、「わらった」というこのお姉さんの声の言葉の音を覚えていて、夢にこの場面が出る度、同じタイミングで従姉妹がそう言うのだけど、これが後付で勝手に引っ付いたものだか本当にそうだったのかは分かりません…。
しかし、天候とか、雨が降り出したタイミングとか、従姉妹が話しかけて私がいきなり笑ったとかいう事は確かにあったとの事でした。母と叔母に聞きました。

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こたつ布団カバーの中に潜り込んでもぐらごっこ、は5歳の頃だったかなあ。多分、もっと上のような気がする。10歳くらい?私は12歳くらいから背が伸び始めたけど、それまではクラスの中でも背が低くて小柄な方だったし、中身も幼くて、同年代の女子達の複雑な会話についていけないところがあった。早い話が何というか「ぽえーっ」としていた。

幼少期の記憶の1番古いものは、お宮参りの時の朝の事なのだけど、以前ここにも書いたような気がする。赤ん坊の時の事だし、覚えている訳はないんだけど、その同じ場面を、まるで動画再生するかのように何度もずっと繰り返し夢に見るものだから、母親と祖母に『こうだったでしょ』と聞いてみたら、出かけようとしたらちょうど雨が降り出した事などが合っており、それでやっぱりそうだったんだなあ覚えているんだなあと思っている。朝、外へ出て、曇り空だったそうなんだけど、すごく眩しかった事や、周りのひと(母・祖母・叔母・年の離れた従姉妹のお姉さん)の高揚した感じが伝わってきて興奮した感覚、冷たい、という感覚。あと声。

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疲れすぎて眠れず、みなさんの投稿を読んでいたら子供のころの記憶がポロポロ出てきてますます眠れなくなった笑。
私は自分のアルバムを見返すのが好きだったので、妄想だかはわからないけど小さい頃からの記憶が断片ありまする。少なくとも2歳くらいからはある。
小さい頃の記憶は本当のことではない!と強く主張していた人がいたけど、彼女は元英語の教師で、そういえば英語のテキストにそんな話が載っていたなあと思い出したりしました。
私は5歳の時に横浜から鹿児島に引っ越しをして、〜じゃん!と言う横浜の言葉を使っていたら、クラスの男の子に男の言葉を話すなと言われてすごーくショックで、5歳の記憶、と言われてそれを最初に思い出しました。非難されたのも、男女差別されたのもショックだったな〜。

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5歳の思い出。僕は学校というものを最後まで好きになれなかったのだけど、それは幼稚園の頃から始まっていたと思われる。
人から何かを押し付けられるのが嫌とか理由はいろいろあるが、夜型なことと怠け者だったことが大きいんじゃなかろうか。

先生に誘導されて列をなして登園させられていくさま、気分はドナドナである。

そんなことより印象に残っているのは発売されたばかりの(歳がバレる)ファミコンと出会ったことで、それは電卓を除けば僕が初めて目にしたコンピューターだった。僕はそこに未来を見た。

近所のお兄さんにあまり遊ばせてもらえなかったのが悔しくて、絶対に自分でも買ってやるんだと心に誓ったのを覚えている。

その後、個人向けコンピューターはWindows 95の発売を機に、変わり者の玩具から生活必需品へと世間の認識が転回するのだけど、それは一回りほど後のお話。

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思えば僕のオタク気質もその頃からで、幼児向けテレビ誌(特撮もののその後の展開が詳細に載っている)を熱心に読んでいた。
先の話を「どうして知ってるの?」とほかの子に聞かれて得意を感じていた。

バイオマンのメンバーのひとりが劇中で死亡したのは子供心に衝撃だった。Wikipediaによると俳優が当時失踪したのが原因だったらしい。

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5歳の思い出は早生まれなので保育園の年長組での出来事が多くなる。

お絵描きの時間に画用紙を前に途方に暮れていた。描くものが何も浮かばなかったのだ。見かねた園長が2人の子どもを紙の真ん中あたりに描いてよこして、やっと何かを描き加えた。

人懐っこい子どもではなかったわたしを膝の上に乗せて可愛いがってくれた先生が、後に交通事故で亡くなった。保育園はお寺にあったので、彼女の祭壇の前に並ばせられて写っている写真がある。わたしは後ろから前の列の子どもたちの隙間に顔を覗かせていた。

お弁当を時間内に食べ終えるのが難儀だった。

保育園の初日に「お化粧をしてるの?」と尋ねる女の子たちがいた。色が白過ぎる子どもだった。

お弁当の後にお昼寝の時間があったが、その前に祖父が迎えに来ていた。
祖父はわたしに関しては生涯心配性で、風邪をひくからと連れ帰られたのだ。

実際に弱かったのか保育園が嫌いだったせいか、4月に入園して翌年の2月になってやっと休まずに出席できた。

以来学校も会社も、通い続けるのが好きだった試しがない。

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幼時の記憶とかないない。言葉にするなら「明日が来なかったらどうする!?」みたいな漠然とした恐怖とかそんな生活の基底にあった感情は残滓どころか人生すべての根本にあるけど、それは記憶とは違うだろう。エピソード記憶とか鮮烈に残るのだが何回も思い出しているうちにどんどん自分の思い出として固定していく大変な創作物で、記憶とか思い出というとエモい話いつも「なんでそんなこと覚えてるんだ!」と散文的な部分を除けば全部疑ってかかるし、自分の記憶も9割がた後から捏造されたものと確信している。そしてまた不快なことほどよく覚えていて、自意識過剰だったから自分に関する不快な思い出が多いのだが思い出すと「こんな穢い子供もいましたという思い出を書き綴る」みたいな東京八景の太宰治気取りで自分の心の心底嫌な部分に延々と沈潜していくので毛が逆立つ。封印してはおけない自分の自分から逃げられない自分なのだがそんなのも殺して捨ててしまうことはできないので一緒に死ぬまで生きていく

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5歳の頃の記憶! ない!笑
3歳の頃の記憶まであるなんてすごいなぁ、と思って周囲のひと数人に聞いてみたら、中には2歳の頃の記憶まであるひともいてびっくりした。
私には子供の頃の記憶があまりないので、どんな感じなのか全く想像がつかない。

親しくしている友人の娘が先月4歳になったので、だいたいこのくらいの年頃かぁーと漠然とイメージするくらいだな。
彼女の脳内を楽しく妄想することにする。

ちなみに私は彼女から「う○このおばちゃん」と呼ばれていて、まあそれだけ普段からう○このことばかり話しているわけだけど、何歳くらいまでそう呼んでくれるのかが私の目下一番の関心事。
思春期の中学生くらいになっても遠くから「う○このおばちゃーん!!」って叫んで駆け寄って来てくれたら嬉しいなぁ…まず無理だろうけど。

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自分自身の5歳の思い出があんましないことに今びっくりした。
妹一人いたしもう一人生まれた年だしいろいろ感慨深いはずなのだが、全く記憶にない。
いや、なんかあるはずだと思ってアルバム見返してみようかと思っている。

後から親に聞いた「妹の前髪を短くきってしまった事件」と「図書館によく父親に連れていってもらってた」という記憶くらいしかないなー

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5歳のころ、異常にはさみが好きで、なんかを切らせたらいろいろな形にずっと切ってたり服をきったりしてたらしい。

で、ある日母親が(今思えば妊婦だったし)昼寝をしていて、
そういえば「お母さん前髪長いからきってあげよう」と思って額まではさみをもっていったのだった。そしたらちょっと母が動いて「あかん、動いてるの切るスキルはあたしにはない」と気づいた。
ほんで起きてる妹(3歳)に「じっとしとき!ねえちゃんが前髪きったる」って切りたい気持ちがあるだけで切ってみて、すごく短い前髪にしてしまい、昼寝から起きた母親にこっぴどく叱られたのであった。

大人になって実はあの時のメインの標的は母の前髪だったと知ったときの母の顔はおもしろくてわろてしもた。

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5歳。小学校に入るまでの私は人生の絶頂期だったと 今でも思う。笑

一人っ子だった。
今では誰よりチビだけど、当時は同い年の子と一緒に居ると お姉ちゃんと間違われる位 背が高かった。
両親が誘拐されるのではとハラハラするくらい美人であった。笑
本の虫で、幼稚園の時に 小学3.4年生向けの本が読めるくらいだったので、漢字なども多少読めて、近所で1番のお利口さんと言われ天狗であったw
母親が行儀にうるさかったので、街中で頬杖をついてお茶を飲んでるお姉さんを見て、指差して「あのお姉さん、オトナなのにお行儀悪いんだぁ!」などと大きな声で言う子だった。苦笑
幼稚園で、男子に向かって自らスカートをめくり「見たいなら見なさいよ」などと言う 残念な女子であったw

つまり、随分こまっしゃくれた、自分が世界の中心と信じる姫様であったのだが(後に小学校に入って挫折を知る)、あの頃の天狗な姫様の幸福感が今でも自分を支えていると思っている。

人生で戻れる時代があるとしたら、
幼稚園の頃に戻りたいなぁ。

と言うわけで、お時間のある方は「5歳の思い出」を話してね。

ちなみに絵本を演じて遊んでくれた隣家のお兄ちゃんはこの時小学一年生で、学校で習ったことを「教室ごっこ」の先生役を演じて授業してくれたり、森のゆうびんやさんごっこで私たちに手紙を書かせてくれたりした。このおかげで私は3歳から読み書きができた。仲間に入れてもらいたい一心で何でも覚えたから。

毎日色々な設定のドラマを教えてくれたこのお兄ちゃんは、長じて東京に出て映画の会社に入ってお話を作る人になった。思い出してみて初めて分かったけれど、私の3歳はものすごく贅沢で楽しい遊びの時代だったんだなあ。